もう一度「考える」について考える。
昨年、介護支援専門員の更新の研修に参加しました。新型コロナウィルスの感染防止のため、ほとんどがオンライン形式でしたが、2回だけ全体で集まる研修が催されました。 この第1回の研修の中、以前より、どうしても自分の中でもやもやしていた疑問を、更に強く感じることとなったため、休憩時間に講師に「郵便で質問状を送ってよいか」と相談、許可をいただき、職場に戻り、自分の中で整理のつかないことを7ページほどの書面にまとめ郵送させていただきました。 百数十人の受講者がいる中の「一受講者」、返信や電話もなく、お仕事がお忙しいであろう方のため、「流されたのかなぁ」、「第2回目のときに一言でもお話ができるのかなぁ」と半分あきらめていた時、講師の方より職場にお電話をいただき、「当地に来る予定がある。勤務先で会議があるから1時間だけ時間が取れる」とおっしゃってくださいました。 講師の方は、当日、約130キロ離れた地より、時間通りに当施設に来られました。 講師の先生、とても真摯な対応をいただき、また、限定されていた時間も、2時間近くオーバーしてしまうほど、丁寧な対応を下さいました。ここでは、質問の内容は記載をせず、このブログの中で、今後、小出しに、ご覧いただけた方に、問いかけさせていただきたいと思います。 長いお時間をいただいた話し合いの中でしたが、しかし、2回目の講義でお会いした際に、講師の先生から、「あなたの質問に私は答えられなかったかもしれない」と言われたとおり、どうしても、講師の先生から、私が求める答えはいただけませんでした。 また、この研修では、講師が1名、そして、講師の指導内容を基にグループワークでの指導を行うアドバイサーと言われる方が10数名おられましが、講師の先生に対して、このアドバイザーの方に同じ質問状を送ったら、私の求める答えをいただけるかを聞きましたが、「無理でしょう」とのこと、結局未だモヤモヤ感が残ったままです。 私は、この場で、「自分がその講師より優れている」などとアピールするつもりは毛頭ありません。本当にそして純粋に、このような研修の中で、ずっと疑問に感じたことについて教えていただきたかっただけのことです。 では、なぜ、このブログで本件を記載したか。それは、以前、ご利用者様の呼称について「講師の先生から言われたから…」と応えた面接者が多かったことに関連し、「自分で考えることの大切さ」、「視点を変えれば講師の先生が絶対ではない」ことを述べたかっただけです。教えられたことだけを正しいとして疑問を感じず日々の業務にあたり、その教えを自分の部下に押しつけていたとしたら、とても不幸なことだと感じるとともに、疑問に感じることなく、また疑問があっても考えようとしないままでは、福祉業界に専門性は育まれないと感じています。